「趣味の文具箱 vol.41」で始まった、小日向京さんの新連載「筆欲を満たす試み」。
記事を拝見したとき感じたのは、文字に対する切り口が斬新だなあ、ということでした。
一般的に、手書き文字に関する記事といえば、いかにして美しい字を書くか、横棒の間隔は等間隔で、下の横棒は少し短めで・・・とか。そういう、美しい文字を書くためのノウハウをレクチャーする場合が多いかと思うのですが。
それよりも、今回の記事では、字を書くことで得る満足感や、自分の字を愛おしく感じる瞬間について触れてらして。それは、とても共感できるものでした。
普段から、わたしが手書き文字に関して感じていたことは、これだったんだなあ、と、すとんと腑に落ちた次第です。
ちなみに、こちらの趣味文のブログにも、掲載記事のコメントや補足を書いてらっしゃいます。
・小日向日記│趣味の文具箱 vol.41「筆欲を満たす試み」記事の話
そこで、これらの小日向さんの記事に触発された形ではありますが、わたしも、手書き文字について思うことなどを書いてみることにしました。
小さい頃からの憧れの字とは
小学生の頃に習字を習っていたとはいえ、「美文字」とはほど遠い自分の字は自覚しているので。
ただ、小さいときから、私が気になっていた手書き文字とは、習字のお手本のように流麗な字よりも、むしろデザイン的に整った字でした。
今のようにSNSなど無い時代には、そうそう多くの方の手書き文字を目にすることはありません。
日々の生活でよく目にする他人の手書きと言えば、学校の先生の黒板の字くらいだったでしょうか?
(学校で教わった先生の手書き文字について、今でも覚えているエピソードがありまして。 中学校の理科の先生が、両効きで、右左、どちらの手で書いても、まったく同じ字を黒板に書けたんです。なので、右手が疲れたら、次はチョークを左手に持ち替えて書く、という具合で、板書がとにかく早くて。そのスピードに追い付こうと、ノートに必死で書き写していたのを覚えています。先生の字がこれまた、男性なんですけど、丸まるっとした字で)
そんな、他人の手書き文字を見る機会もなかなかなかった頃に、私が憧れていた字は、実は、マンガ家さんが書かれる字でした。
マンガのコマの中にちょこちょこっと手書きで字が書かれていたり、あと、雑誌掲載時には広告欄だった柱部分に、単行本としてまとめる際、いろいろと近況や作品のこぼれ話などを手書きで書いてくださるじゃないですか。
その中でも特に、成田美名子さんの、まるでフォントのように綺麗に整った手書きの字が大好きで。(もちろん、成田さんの華麗な絵も、ストーリーも大好きでしたよ!)
見た目がとても整っているけれど、かと言って、かちっと固いわけじゃなく、個性的な字で。
今思えば、あれは、ロットリングで書いてらしたのかな?(成田さんのマンガを描くときの道具紹介にそうあったような)
【追記】こちらの「なか見!検索」で、成田さんの手書き文字による、お能の解説などを見ることができます。→花よりも花の如く 12 (花とゆめコミックス) 成田美名子
そんな私でしたから、自分が書きたい字、憧れの字というのも、いわゆる「美文字」系ではなく、デザイン的に見て、まとまっていて、個性的だけれど読みやすい字、だったんですよね。
文字というのは、ペンの持ち方や、手の動かし方、力の入れ方や癖など、さまざまな要因が働きかけることで、その人にしか書けない字となるわけで。それだけで個人の特定も可能で、筆記鑑定という分野にさえなるほどですもんね。
結局、自分の字は、自分にしか書けないもの。でも、それは裏を返せば、究極の「個性」でもあると思うんですよ。
なので、習字のお手本みたいに綺麗な字じゃないけれど、自分が書く字が好きだし(というか、これしか書けないし)、汝、みずからの字を愛せ、じゃないですけども、これが(ありのままの)わたし、と素直に受け入れるようにして。
むしろ、手書きで字を書くことは、個性の表現なんだから、溌溂と、自由に気ままに大らかに。(枠や罫線があると、つい、いつも、いっぱいいっぱいに書いてしまう癖が…)
とにかく、いつだって、好きなように字を書き綴るようにしています。
万年筆で文字への愛おしさを味わう
現代生活では、墨をすって心を落ち着けて、文字を書くことだけに集中する、お習字のような時間を持つわけにも、なかなかいきません。
そこで、それにとって代わるのが、万年筆を持って字を書く時間かな、と私は思っています。
それは、ペン字講座といった正式なものじゃなくても、ただ、自分のためにノートに文字を書くだけでも良いんです。
万年筆というのは、何故か、少し特別な筆記具で、いくら高価なボールペンを使っても、こういう特別な気持ちは味わえないんじゃないかしらと思います。
うまく言い表せないんですが、「これから字を書くぞ」と、きちんと字に向き合う気持ち。
当然、日々の中で、手帳にラフに走り書きする場合もありますが、万年筆で書くことは、ある種の「儀式」のような時間でもあるんですよね。
万年筆を手にしたとき、そして、キャップを取ったとき、心のどこかで、これは特別な時間だと認識するからでしょうか。
つまり、字を書く時間を大切にできる道具なんです。
字を書く時間を楽しむと同時に、万年筆で自分が書いた字を見たとき、ノートの上に残るのは、素敵なインクの色であり、自分がお気に入りのインクの色。
微妙なインクの濃淡や、時間経過によるインクの色の変わり具合を眺めて楽しむこともあり。
しばし、こんな至福の時間を深く堪能して、味わえるなら。
こちらは、プラチナ#3776シャルトルブルーのMニブで書いたもの。
インクは、Writing LAB.のヴィンテージ・デニムです。
ジーンズの濃い藍色が濃淡となって。お気に入りのブルーブラックインクです。
こういったインクの濃淡が出るのも、まさに、万年筆ならでは。
万年筆を手にして文字を書きながら、ペン先が紙を削る、シャリシャリという微かな音を楽しみ、ペン先が紙の上を滑るなめらかさを楽しみ、線が字を形づくっていくときの、字を「作る」楽しみを味わい。
万年筆で文字を書くこと。ただ、それだけで、「自分だけの密かな愉しみ」を得ることができます。
まあ、ある意味、少しマニアックすぎる愉しみかとは思いますが。(文具好きな方にしか理解していただけないかも)
でも、これこそが、万年筆の醍醐味。ですよね?
書き写しのススメ
私の場合、ノートのページをまるまる文字で埋め終えて、全体のバランスを見るのが好きかも知れません。
一文字だけというよりも、万年筆で字を書き綴っていって、ノートいっぱいに埋まった字が、きちんとしていること。これが自分なりの目標かな。
上の写真もそうなのですが、これは文章の書き写し作業なので、結構なスピードで字を書いてしまって。もう、勢いに任せて、みたいなところもあるのですが。
でも、書き写しだと、字を書く作業だけに集中できるんですよね。
文章を考えたり、前後の文との繋がりに頭をひねる必要もありません。ただ、万年筆で字が記されていくのを眺めながら、インクが紙に染み込んで、味わい深い濃淡が表れる様を堪能するだけでOK。
とにかく、字を書く行為だけに没頭できるんです。
私の場合は、歴史や美術が好きなので、その関係の新聞記事を書き写したり、あとは、好きな作家さんの一文を抜き出して書いてみたり。
そんな風にして、手帳に日々の出来事を書きとめる以外にも、万年筆で字を書くことを純粋に楽しむようにしています。